わさびモドキの備忘録

日本びいきのイギリス人が日々の生活で感じる疑問や発見

モルドバ語

 スペイン語とイタリア語は異なってはいるが、計画的な勉強やとてつもない努力なしにお互いの言語を理解できるらしい。このように、とても共通点が多い言語は違う国同士でも、通じるようだ。中でも、ルーマニア語モルドバ語は似ているどころか、ほとんど違いはないと言われている。

 モルドバ共和国ルーマニアから独立する際、独自の憲法を作った。その憲法公用語モルドバ語であると明記したため、もともと話していたルーマニア語の方言の一種がモルドバ語であると主張されるようになったようだ。現在ではさらにその憲法を改正して表記をルーマニア語と改めたらしい。今はある小さな国がモルドバ語を公用語として認めているため、モルドバ語という存在は残っている。

 政治的な理由から「新しい言語」が生まれることがあるのだと知り、非常に興味深かった。

記憶

 どこかに何かを置き忘れたとする。その時、あなたの頭の中に一番最初に浮かぶことは何だろうか。


 一般的には、その置き忘れたと思われる場所か、無くした時の状況を視覚的にイメージすることが多いらしい。しかし僕はそういう時、ほぼ視覚的なプロセスを踏まない。音は思い浮かんだりするのだが、映像的なものははっきりとは出てこない。深い霧の中で断片的にものの存在を感じながら、言語化された記憶を辿っていくような感覚だ。


 どうやら、僕は視覚的な情報を言葉にして記憶することが多いようだ。子どもの頃から図形の展開や、カードの絵合わせゲームなど、視覚情報に頼って頼る問題を解くことが非常に苦手であった。周りからは想像力がないと言われ、疎外感を覚えることも多々あった。いまだに絵を記憶したり、人の顔を覚えたりするのは得意ではないが、別段、生活に支障はない。


 言語化しようが、視覚化しようが、記憶は記憶である。これも一つの個性として大事にしていこうと思う。